◇ M e m o ◇

ときどき連載

最近は主に神保町アトリエ、[1号室|2号室]の
管理人兼作家としての日誌を主に書いてます → 1|2管理人日誌

■   2005.12.7  


バイトに行っているところの真ん前にある、
庭園「六義園」。
お昼はいつもここでお弁当。

 

先週開かれていた紅葉のライトアップ。
普段見なれた所が真っ暗闇で違くみえて面白い。
昼間は↑さわやかな日本庭園と池なのだが、
夜になると回りにはビルも大きな道路もあるのに、
樹木で音も灯りも殆どさえぎられるので、暗闇の森になる。
あ、、東京にもまだ森があるのだなあ、、
昔のひとの夜出歩く道はこんなだったのかも。。
と、思ったりする。
あんまり、普段そんな暗闇に接する機会がないから、
わくわくもするけど、なんだか恐いよう変な気もしてくる。
こんな暗闇に普段接していたら昔の人は妖怪とか、
お化けとか、精霊?みたいなものを容易に想像したり、
感じたりして表していたのだろうな、と思う。
(こうやって携帯で撮ったもみじはなんだか桜のようにも見えますね。)

暗闇で食した抹茶と和菓子。
食べることは回りの環境でかなり気分・味覚・感想が変わる。
このときは味より景色に気を取られてました。
でも寒かったので少し暖まったです。
そしてシャカシャカ撮影して帰宅。

■   2005.9.16

 

 一昨日くらいの夕焼け。すごいきれいなショッキングピンクだった。今日も。
 ものすごくいいかんじ。電車中、人も多く、大きなカメラを向けれなくて携帯にて1枚だけ撮影。
 行き帰りの電車、川を渡るときは、空が広くみえて目の保養になる。
 パソコンとか街とか人ばかりみてると、物凄く視界の開けるところに行きたくなる。
 だから通勤のこの橋を渡る瞬間はかなり切実な感じで欲して窓の外をみる。
 そうするとざわざわしていた頭の中がフラットになる感じで気持ちがいい。

■   2005.9.7

 

 仙台から来た両親と出かけた途中、狭山?辺りで休憩したときに見かけたお家。
 木の扉で、ツタがからまってて、庭もあって、草も手入れされ過ぎてなくていい感じだった。
 今、わたしの住んでる、祖母の家から駅に行く途中にも、木造の平家で木に囲まれた家がある。
 手入れしてないから草木に埋もれていて、そこだけ森の中のような雰囲気。
 なんか、世の中から取り残されたような、または孤立しているようだけど、
 独自のしずかなせかいがあるように感じる。
 別の人からみたら、ただの荒れた家に見えるかもしれないけど、わたしはそこの家が自転車で
 通るたびに気になっている。
 多分、おじいさんが独りで住んでるらしく、たまに夜、裸電球のオレンジ色の光りが見える。

■   2005.8.31

 ある日の作業。系統的に床にざっとならべてみる。相方にも見てもらう。
 人に見てもらうとその瞬間、自分の別の客観性も出てきて、ひとりで考えていたのと別なのが
 思いついたりしておもろい。ば〜っとみて弱い印象と感じるものを外す。
 どういうことを伝えたいかで、残るものも変わる。みせたいものがあって、それに合うと思うもの、
 異種間の組み合わせで生きると感じるもの、流れで見せたいもの、いろんなかんじが出てくる。
 そのときどきの、自分のこうありたいとか、こういう気持ちでいたいとかが裏ベースでテーマになったりする。
 もっともっといろんな感じのものが撮れてくるといい。
 でも、結局、同じようなところをぐるぐる回っている気もする、自分でも無意識でやっていて、
 そのときに気付かなかったこと、興味あるものをわかるための行為のような。

  

■   2005.7.10

Web Gallery の連載が前々回辺りで200回を超えた。
 おおっ というかんじ。意識せず、いつのまにかなので、なんだかちょっとうれしいですね。

■    2005.7.2

 一昨日、ゆうがた、ビルから出て来たら潮のにおいがした。
 バイト帰りに銀座で友だちの展示をみたあとのこと。
 築地が近いから風と気温の関係でふわっとただよってくるみたい。街しかみえないのに。
 そんな時はなんだかうれしい。

■   2005.5.28

 まえのメモに書いたのだけれど熱を出していたいたころ、父が気晴らし?にと
 送ってきてくれた写真の数々。

   

 ヒメギフチョウ。そのたまご。産卵に出くわしたらしい。

 

 シロモクレンと、むらさきのがカタクリの花。カタクリは雑木林の暖かい日向の斜面に咲く。
 前の年に落ちた落ち葉の間からまず、緑と黒のまだら模様の葉だけひょこっと出ているから、目をこらしてみると
 そこここにあるのがわかる。ある日山に行ったときに丁度、カタクリの群生に出会うとうれしい。
 その山は小さいころからよく行くとこで、人はあまりいない。
 実家から自転車でも行ける距離。毎年咲いてくれているのに会えるとほっとする。

 

 木蓮の木。 と母。

 

■   2005.4.19

 また、先週末腹痛と発熱にて病院へ。。
 週末からだったからバイトは一日だけ休むので済んだのだけど。
 おかげで相方とぶらぶらしたり、銀座へ個展と音楽のイベントへ行くはずがつぶれてしまった。。
 先先週末に仙台から遊びに来た母と相方を三人で桜眺めがてら日帰り温泉へ小田原へ行ったあたりから
 体調は思わしくなかったのだけど。やっぱり季節変わり目とかはカラダに出る。トホホ。
 吐いたりして高熱の間は変に考えが大げさになってきて「このまま死ぬのか〜〜?」とか
 恐ろしくなってしまうけど、それが過ぎると、体はナンカふわふわしたかんじで、
 気持ちわるくないってことはこんないいことだったんだ〜としみじみする。
 健康っていいですね、、ほんと。
 そんなこんなで、喉元過ぎると久々にゆっくりぼおおおっっと出来て嬉しいなんておもう。
 ちょっと前まではひぃひぃ言って助けてくれ〜って感じなのにねえ。
 こういうときになにもかんがえないで、なにもしないでベットからなんとなく空とか眺めているとき、
 頭がしーんとしてきて、真っ白なかんじになる。
 寂しいようなかんじもするけど、なぜかほっとします、そんなときは。
 ずっと寝込んでいるわけではないからだろうけどね。
 そうして、すこし動けるようになって久々に仕事などに出るときはなんだかいつもよりちょっと緊張する。
 駅の人とか、通勤のひとたち、バイト先仕事している人たちなど、すごく速く動いているようにみえて、
 ちょっと気後れするというか。
 体調も落ち着いてきて、その日の自分の仕事を終える頃には少しそのスピードに馴染んでくる。
 翌日にはまた少し慣れてくる。翌々日にはもっと。
 そうして何ヶ月か過ぎるころ、つかれたなあああなどと思っていると例の腹痛と熱が現れるのだった。
 ううーん、そうやって具合わるく自らして強制的に休んでいるような気が、、。ここ数年のわたしだ。

 それから、今回、通院して前から思っていたことを思い出したんだけど。 
 いつからか、診察のときに「妊娠の可能性はありますか?」「生理の終わったのはいつですか?」とか
 聞かれるようになったんだろう??と今回も思った。それによって診察が変わるんだろうけど。
 最初は大学生のころだったかそれより前だったか何かで病院へ行った際に、はじめて
 「妊娠の可能性は〜?」とか聞かれたときは何を言われているのか分からなく、わたしに言ってんの?
 と、ダレに言ってんかも分からなくてびっくりした。意味がわからなかったというか。
 今、思うと笑っちゃうような感じだけど。そうだ、子供とかも生めるかもしれんのだもんなあぁと
 まるでひとごとのように、別の世界のようにかんじだのだった。
 そうだようなぁ。動物なんだよあ、信じらんないなあ。

 ■   2005.4.2

 先月、あるサイトに自己紹介文を載せる、といことがあって
 久しく「自己紹介」というものを書くことはなかったのでふしぎなカンジだった。
 ひさびさに書いてみると、いろいろ自分のすきなものは何か?とか紹介するのは、
 はずかしいような、照れくさいかんじだったけど、書いているうちに最近の自分の好みとか、
 こうありたいな、、というものが自分的にも思い知らさせるかんじだったので、
 たまにはこういうのもいいのかもしれない、、とおもった。
 あと、性質としてあまり好きなもの、自分とって生きていく上で精神上必要なレベルのものだと、
 そう簡単にヒトには言わなかったり、コトバとしては出て来なかったりする。
 ウ〜とか、アア、とか好きなんです、とか一言くらいしか出て来なかったり。
 コトバ化するにはものすごく時間がかかる。
 今回、そのサイトに書いたものがわたしの最近の傾向か?と思ったので、抜粋してみる。
 
 「はじめまして。なかむらあやおといいます。
 日々撮影したものを写真や映像で発表しています。
 ほぼ数日おきに作品を更新しています。
 
 今月4月の表紙は「霧の日」です。
 良かったら覗いてみてください。
 
 それから日々欲しているものは読書と音楽と植物の緑、
 ご飯を一緒に食べていて気持ちの良いひととの気のおけない時間、小旅行、散歩、お茶、
 美術館などではっとしたりすぅっとするようなものと出会えること。
 時間の流れ方が変わるようなもの、自由を感じさせるものに興味があります。

 好きな休日の過ごし方
 目覚ましなしで起きてからその日の気分体調で相方と気になるところに散歩がてら出かけること。
 お茶。

 好きな本・マンガ たくさん。たくさん。必要。
 ジャンル関係なく、好きなものなら何でも。
 よしもとばなな、内田哉哉子、高山なおみ、やまじえびね、やまだないと、河合隼雄、吉本隆明、
 村上春樹、かわかみじゅんこ、堀井和子、パトリス・ジュリアン、庄野潤三、白州正子、クウネル、
 自休自足、小さい頃はスノーマン、赤毛のアン、大草原の小さな家、ミヒャエル・エンデ、
 少年ジャンプ、自作絵本を描いていた。キャプテン翼とハイジと大草原の小さな家のテレビ再放送は
 欠かさず、飽きずに何度でもみてましたねえ。サッカー部に入りたかったしね。
 それからハイジは最初の頃と後の幸福な所、白いパンを食べてる所が好き。
 大草原小さな家ともに生活環境に憧れたのかな。服とか、ああいうのきて暮らしたいとか
 あの時代生まれたかったとか思いましたね。ホントにあの時代に生まれたらヤワ過ぎて死にそうだけど(笑)。
 後、天空の白ラピュタが宮崎監督の作品で一番すきですねえ。空に浮かぶ系が好みみたいですねえ。
 考古学者や天文学者、地学系、海洋学者、絵本作家、パン屋ケーキ屋、音楽やるヒト、
 そんなものにもなりたかったですし。後はハイジのようにアルプスで暮らすとか。。
 今、アートに行き着いているのはそういうこと、いろんなやりたいこと、興味、
 生きて行く上で自分にとって他社と関わっていく、出来ることとして必要なものを全てを表現、
 掛けていけるものとして合ってるからでしょうね。
 後は立ち読み、その他はひたすら図書館で気の向いたものを借りて見ます。

 好きな音楽
 たくさん。必要。現在、クラムボンとフィッシュマンズが一番聞きます。
 中村一義、ヨラ・テン・ゴ、Tahiti80、おおはた雄一、くるり、曽我部恵一、夜は音モノ、Mogwaiなどなど。
 i-podで聞き回してますねえ。最近はおおはた雄一のインストアライブと
 ケミカルブラザーズの幕張ライブへ。4月はクラムボンのに行きます。
 去年はライジングサンロックフェス、年末もフェス行きましたね。今年夏も何かは行くでしょう。」

■   2005.3.9

 

 3日はひな祭りでしたね。実家で母がかざってくれたのを父が写して山の写真と一緒に送ってきてくれた。
 もう実家を出て今年で10年経つのにきちんと飾っていてくれているらしく、
 親とはなんだかすごいものだなあぁとなんだかしんみりした。
 自分はこんなふうにできるかいなあ?と、ほんと、おもう。子を持ったりするか分からないけど。
 このあいだも、ものすごい勢いで、宅急便で食料とわたしへの新しい冬用の新しいシーツを
 縫ったから〜と送ってきてくれた。あと、弟にはたばこ、まとめて買った方が安いから、、らしく。
 母からのこういった届けものやでんわで、今日はひなまつりだった、そういえば、、とか、
 冬至らしいからゆずを買おうか、、とか思わされたり、季節の習慣を思い出させられたりする。

 わたしもとりあえず帰りに桜餅を買ってみたりした。たんに食べたくもなったし。 
 こういう季節感と少しのおもしろがり、イベント感というかわくわく感、大事にしたい。

 それから、今日ひさびさに読み返していた本で、今のわたしにひっかかったことば。 
 常になにに対しても月並みな興味では済まされない趣の人に「どうでもいい」という
 考えはあるのか……という問いに対して、「…… 基本はどうでもいい上に成り立ってるもん……
 僕は単に”より快適に、より自由に”なるために欲張っているだけで、こだわってるつもりじゃない。
 ”こだわる”って心がとらわれちゃうわけでしょ?なんか、いかにも凝り固まってて、窮屈そうで……
 やっぱり結局はキモチヨクナリタイ欲望が果てしない、ってことなんだな」ということば。

          

 あと、「〜つまらないなんて、何かが足りないってことを知っているからで、
 欲望があるのは、まだ感受性が豊かだってことでしょう〜」

  「あらゆる……つまらないものの中から……一瞬でも輝きを……見つけ出せることが……唯一
 ……人間(わたくしたち)の……才能だから……」ということば。
 -『会見記』内田也哉子さんの「ブリリアントつまらないを探しに……」秋山道男さんとのはなしの中から抜粋させてもらいました-

■  2005.2.1

  

   

 上の4枚の写真は父が最近メールで送ってきてくれたもの。
 上の2枚は山形のもの。下の2枚は仙台の太白山という小山に父母がトレッキングした際に写したものとのこと。
 下、右の写真はカモシカの足跡らしい。こうして週1ペースで送ってきてくれる。
 今、わたしの住む埼玉の町では雪はめったに降らない。
 去年のクリスマス過ぎだったかにこちらでも少し雪が降り積もり、視界がみな真っ白になったとき、
 なんだかとてもほっとした。でも同時に少し寂しいような、心細いような感じも。
 嬉しくもなったし。
 まあ、それも雪で苦労したことがないのと、雪での悲しい思いでもないからなのだろうけど。

 そのときのほっとしたというのには、いろいろな気持ちからのものがあるけど、
 その期間もどうしようか迷っていることがずっとあって、悩みつかれていて
 景色をみても、町ばかりで目が休まらない気がしていたときにぱっと雪が降って
 いろいろなものを白くした。視界が全部真っ白くなっているのを見ると、
 頭のなかがしーんとしてクリアになったような気がして、いろいろ考えていたことも一瞬忘れた。
 疲れていると普段の景色からの目へ来る情報が、そのときのわたしの状態からは多すぎる感じがして、
 そんなときだったから、予測不可能な雪がふって景色を白くしたという偶然・自然の出来事で、
 いつもと同じ景色を見て、わたしのなかの意識が一瞬でもふわっといい方に変わったのがうれしかったのだった。

 上の写真もすべて雪が写っている。そしてまたなぜか雪が写っているとほっとする。
 それが踏み跡がたくさんで茶色くなったものでもそう。
 踏まれてぐちゃぐちゃになった地面の雪のことを小さいころからわたしは「だいこんおろし」といっている。

■  2004.12.25

 

■  2004.5.7

 今週は熱で寝込んだからか、色んな種類の変な夢を断続的に見た。
 夢は不思議だ。
 今、気に掛けたりしている(良い意味でも悪い意味でも)人や事が、ダイレクトにそのまま出てくるのと、
 昔、余り親しく無かった人や、暫く会ってなく連絡もしていない人が、どこからか夢に出て来たりする。
 ほとんど忘れているような人が出てきて、ああ、そういう人もいたなあと、改めて思い出した位だ。
 後、もう一つ、かなり抽象的な形や物で出て来る夢もある。
 今回見たので覚えているのは、何かに追われていて高いところから落ちたら、その真下は大海原で
 おおきな白いクジラのようなモノが泳いでいて、背中だけ見えている、その背中部分に、
 寝床に置いてあるアザラシ型のマクラ(お供?)と一緒に落ちて行く(乗る?)という夢。
 その瞬間目が覚めて、変な夢だ〜、コレは覚えていそうだな、、と思いながら再び眠りに落ちたが、次ぎ起きてからも
 落ちた瞬間の映像は覚えていた。落ちる前はどんな設定だったのかは、もう思いだせないんだけど。
 白くて大きい動物にというのは、何回は私の夢に出てくるものらしい。。
 小さいころにも見た記憶がある。まあ、その記憶もかなり改ざんされている可能性はあるが。
 その小さい頃見た設定は、弟と私と幼馴染みの女の子2人とが、なぜか近未来みたいなところで動物保護レンジャー?
 のようなものになっていて(ゴーストバスターズのような衣装を来ている)、マンホールの中に保護すべき動物が
 いるとの通報を受けて、意を決して皆でマンホールの中に入っていくのだった。
 そうして巨大な地下水路を進んでいくと、真っ白い大きなおたまじゃくしのような
 アメーバのようなものがでで〜んんと1匹の居て(水路の高さ一杯の大きさ)
 助けようと近付いていくと、その白い物体Xがじりりと寄ってきて
 皆がぶにっとつぶされるという夢だった。。
 何か壮大と言えば壮大、しょうもないと言えばしょうもない夢だが。
 でもかなりリアルで、何回も誰かかしらにこの夢を語っているせいか、
 自分の中のイメージが強固になってしまったような感がある。
 
 後、よく見る夢としては階段のような所からずるっと足を滑らす夢。
 その瞬間、冷やッとして、ひざがホントにがくっと上がるから目が覚める。
 
 こうやって書いてるといい夢は余り記憶になく、何だか寂しい気もする、
 多分、いいことは忘れ易く、良かった〜という感じだけしか覚えていなくて、内容は忘れてしまうのかも。
 後は奥底の願望としてはあっても、実際そうなってしまうと困るようなことは夢で実現したりする。
 そういう夢を見たりすると、見てる瞬間は嬉しい気がするが、
 起きると、ウウ、こういう願望が私のなかにあるのか、、と
 後悔と、夢だったことのがっかりといったような、
 どっちが現実か判らないような強烈に変な気持ちになる。
 
 もう一つ、小さい頃見たかなりリアルな夢の中に低空飛行をしたものがある。 
 これも何かに追われていて高い崖から飛び下りると、地上から30センチくらい?かの地上すれすれの高さで
 アトムのような体勢で飛んで逃げて行けるというものだった。
 その浮かび具合がかなり現実味があり、きっかけさえあれば、又、今でも
 ふわッと浮かぶことが出来そうだ。この生涯で未だ1度だけの飛べる夢は、叉もや追われるものだが、
 あまりに気持ちが良かったので、又見たいなあと常々思っている。

■  2004.2.18

 今日は休み。ホントはイロイロ見たい展覧会とか店があって渋谷と銀座を回ろうかと思っていたのだけど。
 昨日の夜、バイト帰りから何となくだるく、夕飯もいろいろ作る気がしなく、
 疲れてインスタントラーメンにした。(だが、素のままでは寂しいので野菜やたまごは入れた)
 疲れると、作る気がしないのもあるが、いろいろ食べたりする元気もなくなるようだ。
 単品ですーっと食べれるものにしたいというか。。うどんとか?消化いい系の。
 まあ、麺好きだからいいのだが。
 やはり、料理作るというのも、かなり創造力を使うものだと思う。
 そう思うと毎日いろいろ作っているお母さんとかはホントすごいと思う。
 けっこうな仕事だ。頭と体を使うというか。
 普段は野菜とかいろいろ食いたいから、体と口?が欲して来るし、
 外で食べるのも好きだが、家でご飯炊いて味噌汁作って、魚焼いて、サラダとかも用意する、
 冷蔵庫の中のもので何かしら作って食べるということが、一日の仕事を終えた後の区切りをいうか、
 自分の気持ちがしゃんとする感じで大事な時間と行為の一つだなーと思う。
 でも、毎日自分の味だと飽きるというか、ツマラナイ感じもし、外食や誰かに作って貰ったものを
 食べるも大好きだ。何か別に世界が広がるかんじで。
 まあ、そんなかんじで、インスタントとかもタマに食べる。あれは依存性がありますね。
 でも、やはり毎日過ぎるとさすがにヤバい感じがするし、実際、便が固くなります。。
 (食事中の方はごめんなさい、塩分が多いから?繊維質が足らないからだろうか?お金無い時に
 何日かお昼はカップラーメンという生活をしたら、一遍に便秘で腹が固くなった、取り合えず私は。
 まあ、運動不足とか他の要因もあるだろうが。タマの楽しみとして食べる、野菜とか入れてが理想ですね。)
 なるべく、欲しているものを取り入れて上げるようにしたいとは思っているのだが、
 疲れ過ぎてると、どうしたいのかとかも疲れてて解らなくなってしまうのが悲しいところ。
 そういう時もあってもちろんよいし(そういうこともあるっていうことが分るから)。
 出来たら、そういう時は胃とかも疲れているから消化いいもの食べて、良く寝るようにする。
 だが、昨日はやけににんにくが食いたく、すりおろしをラーメンにひとかけ入れたら、
 上手かったのだが、夜中胃がもたれて寝付き悪し。にんにくっていうのは好きだが量をとると、
 どうやら私は胃が消化しきれないというか、かっかしてしまい、休まってくれないのだった。
 こういう夜は何度かあるから、学習能力低いんだな。でもその時は食べたい〜って感じでやってしまうんだった。
 でも、うちのお父さんも夜中におかしとかばりばり食べてて
 胃もたれとかしてお母さんに言われているのに止めてなし、、。もう、そういう人なんだな、私も、あぁぁ。
 そういう訳で、朝一度目覚めて又昼迄寝て。
 起きてご飯食べているとき、なんか食の進むのが遅く、寒気すると思いきや、やはり微熱。
 もう出かけるのを止めて風邪薬一粒飲んで又、夕方まで寝た。
 そして起きると夕方。寝て一日終わると優雅な気もするが何となく寂しい気もしてくる。
 夕日とかが関係していると思うけど。でもこういう一見無意味?な日も自分にとって必要。
 そういう日もあってまた、ばりばりと動く日もあるのでしょう。

■  2004.2.8

 昨日は、幼馴染みの結婚式だった。
 2才からの幼馴染みで、家族ぐるみの付き合いだった子だが、
 大きくなってからは年に何回か会うくらいだったので、その家族や友達に会うのも
 久々だった。小さいころから知っている子が、自分のあまり知らない人(まあ、その方が殆どだろうが)と
 結婚式を挙げているのは、何となく、へんな感じでもあり。
 わたしは昔からの知り合いに久々に会ったり、実家に帰って近所を歩ったりしていると、
 普段はもう別の生活をしているので、何となく忘れて、叉は、記憶の奥にあったものが、
 急に活性化されて、大体、その日の夜は寝付きが悪く、夢ばかり見る。
 それも、最近会ってなかった人や、場所ばかりが交錯したものを見る。
 多分、古い知り合いにあって、あのひとはど〜したとか、あそこはこうなったとか、どうなったとか、
 一気に聞いたり、見たりするからだと思う。自分の中の情報収集場所がごちゃごちゃになるというか。
 そうすると、直ぐ、寝付きと夢に影響するのだった。
 後、直ぐ寝付き・夢に影響するものとしては、何かを誰かに言われたりされたりして、
 その場で自分の意見が言葉として出て来なかったり、がまんしてしまったりした時。
 これは、いいことでもそうだが、まあ、悪い事やくやしかったこと、自分はそうは思わないことがあり、
 相手やその時にその感情が言葉や態度としてまで、自分の中に表れて来なかった時に出る。
 大体、そういう場合、その日の夜は眠りが浅くなり、頭だけ、妙にオーバーヒートしている状態になる。
 そして、次ぎの日は、寝不足気味の疲れやすいひととなり、なにごとも効率悪くなりやすい。
 又は、何か変にハイなひととなる。
 そして、そのロウハイが激しいと、生きる上や、製作する上で勢い付くこともあるが、
 気持ちの落ち込みも激しく、自分への消耗が大きい。
 自分的には精神的なアップダウンが激しくないほうが良いのだが。
 なるべく、今は、そういうこと以外での生き方や製作のもっていき方をさぐっている感じ。

■  2003.5.21 → 2003.7.11

 2月の個展から3ヶ月くらい経った。
 環境を変えたことで今は約2年振りに時間が出来、2年前とは違って少しの貯えも出来ていたので、
 ここ数カ月は、私のホント、いろいろな所に出かけた。
 実家の仙台にもゆっくり帰れたし、関東近辺、沖縄、京都、大阪、神戸、、。 
 自分の住んでいるところも仕事とか他のことに意識がいってて、ほとんど知らなかったけど、 
 自転車で行ける距離に植物園や、図書館があることなど、、最近知った。
 実家では、久々に会う友達に会ってお茶をしたり、小さい頃から良く行く丘に行ってぼーっとしたりしたり、
 母においしい御飯を作ってもらったり、父に山に連れて行ってもらったり。
 弟と少し話ししたり。たまに帰ったのだからと、父母の肩を揉んだり。
 埼玉の今の私の家にはない、実家の庭(父が山から少し分けてもらった野草が咲き乱れている)を
 新聞(これまた埼玉の我が家では取っていない)を読みながらぼーっと眺めていた。

 私は小さい頃から日曜となると、父に連れられて、弟と共に山か海に連れて行って貰っていた。
 母も毎回では無かったが、お弁当を作ってくれて一緒に行った。
 頻度としては、山、山、山、山、海、山、山、山、山、、、といった感じで。。
 父が山の散策と、昆虫採集を趣味(生き甲斐、何よりも仕事のストレス解消なのだろう)としていて、
 そのお陰で私は小さい頃から日曜となると、山などに行く習慣が出来た。

 それに、小学、中学、高校と夏休みなどの長期の休みは、
 部活などなければ殆ど毎日家の居間の庭の見えるところでごろごろして時間を過ごしていた。
 庭に水をやったり、本読んだりして、、。
 今、思うと変な子だったのかもしれないが、ああいう時間が自分にとっては、必要なんだろう。
 今も時間があるとそのように過ごしているからだ。
 でも、それは学校や仕事とか(決して楽しいだけではない)毎日の
 行かなくてはならないようなことに対しての私なりの休息時間なのだと思う。
 だからこそ、少しでも心地良いところ、もの、ひと、環境を恋いこがれる。
 そうなって来ると、何が自分にとって心地よく、いい意味で緊張感や安心感を得れるかを
 常に考えること(感じるように意識を澄ます)になる。

 大学で東京に出て来るのに不安だったのは、
 人が沢山いすぎるであろうことと、山とか海がすぐ近くにないだろうということ。
 でもその時はそれは否だったのだけど、人の目を意識し過ぎて自意識過剰だったのと、
 何となく地元ではやりたいことは出来ない、自分を上手く開放出来ないと思い込んでいたので
 (それは人次第、気持ち次第だと思うけど、その時の私の頭はそうだった)、
 浪人する頃には出たいとも全く思っていなかった仙台を出たいと思ったのだった。

 大学在学最初は、実家に余り帰らなくて、これも又自意識過剰というか、
 思い込み激しく帰るとダメになってしまうと思っていた。
 ホームシックが激しくなってしまうのと、美術をやりに来たのだから、
 それが出来るまでは、、とかなんとか思い込んでいた。
 そんなこんなで大学中はバイトなどもあり、帰っても3日位しか長くても帰らなかった。
 大学は、幸い?山奥にあったので、私の自然・山欲は満たされていた。
 2年住んだ八王子もそんなには住宅が過密していなく、ビルも駅前くらいだったし。
 時間を持て余したり、何となく気が落ち着かない時には一人で、近くの川に自転車でぷらぷらしに行った。

 今住んでいる埼玉のこの家は、私の父方の祖母のもので、
 家は昔の日本風の造りでしごく気に入っているのだけれど、
 家と家の間隔がとても狭く、2件向かいにマンションが建ってしまったので、
 余計、圧迫を無意識に感じる。(その前は公園だったのだ、何の木か分からないけど
 大きな葉っぱのなる立派なのがいつのまにか切り倒されたのか跡形もなくなっていた、
 いつもそよそよと揺れているのがうちの窓から見え、そこでおじいちゃん達がゲートボールをしていた。
 この今の私の家も何かを壊したり、潰したりして建てられたものなのかもしれないし、でも何か悲しかった、
 今そこのマンションには新しく越して来た人達が普通に暮してる、その人達に悪気はないのだろうし、
 あたりまえかもしれないけど、何かのことが起きるときは何かの別の現象や感情の上に成り経っている、
 そういうことが、そうは思っても割り切れない気持ちが残ったり、流したり忘れていたつもりでも
 ふとした拍子にぶわっと又気持ちに出て来る。
 そういう日常のこと、どうしようもないこと、自分もそれに加担しているであろうこと、
 それと同時に皆と同じく、自分やその周りの人と少しでも快適で、幸福であろうと求める、
 その上でのいろんなこと、考えれば考える程訳分からなく、何もしたくないような気がして来る。)

 ----そういった、?わ〜っと湧いて来る、感じる、考える自分の中で処理しきれないいろんなこと、
 それに対処する為に何かを造るということをしている気がする。
 そしてそういった気持ちや何かは皆何かしら感じたりしている訳だろうし、
 作品の表現そのものに直に現れているかは分からないけれど、私は作品にそのいろんな思いを込めているので
 誰かに何かしらは伝わってくれるだろうと信じている。そう盲目的に信じてないとやってらんないというのもある。
 そして作品を見てくれた時に何かを感じたり、考えてしまったり、引き込まれてくれれば、こんな不思議なことはない。
 それは、私自身がやりたいやり方で、自分勝手に面白がって、でも今の自分の感じたものを信じて表したもので、
 それなのに、誰か別の人も「そんな訳の解らないモノ」に対して何かを思ってくれるのだから。
 その誰かが引き込まれたという事は、その人がその作品に集中してくれたということ、
 集中してくれたということは、その人が日頃の色んなことを忘れて引き込まれたということだろう。
 それは、私にたとっては救いだし、誰かにとっては癒しとか、喜び、なんじゃこりゃというような
 怒りや疑問など色々を呼び覚ませていて、それってとてもすごいことだと思う。----

 今、我が家で、窓の外からぽっかり空を見上げられるのは、2階の物干に出るところのパソコンを置いている場所だ。
 2階南の部屋は、窓からすぐ前のアパートが見えてしまうが、
 寝っころがると半分曇りガラスで上は透明なガラスのところに夕日が見える。
 それはなかなか良い。

 就職してからいつの時位からか、私は部屋に植物をとても欲するようになり、疲れてしかたないのに、買い出しの時に 
 重たい買い物袋2つ下げ、その上スーパーで、花屋で、衝動的に植木を買ってしまうようになった。 
 今の家は、庭がない、正確に言うと、奥行き30センチくらいの花壇はある。
 その花壇は祖父の忘れ形見のバラなどが手入れ足らずで勢い良く電信柱を越しそうな勢いで伸びている。
 私のものぐさと、手入れ不足(殺虫剤は撒きたくなく、害虫避け知識不足)でそんな感じなのだけれど、
 そんなぼーぼーっと野生を感じる感じでもう勝手に生えている感じは私は結構いいと思ってしまう。
 その花壇前はぬかるんでしまうので、祖父の代に並び近所3件でコンクリートで塗り固めてしまった。
 それは、便利かと思うのだけれど、よく、ここの道路分が庭だったら、、と思う。
 今、植木は、私のベットサイドの窓の棚に1列に5コ並んでいる。
 ライトの脇には、花壇から切り摘んだバラを生けてある。
 部屋の天井のコーナーには個展などの際に友人から貰った花をドライフラワーにしたのを幾つか下げている。
 パソコン台の所にはバラ、台所には植木1つ、ドライフラワー、花壇の花の芽の部分を生けたもの、
 風呂場もアロエ大小2つ、バラのツル2つ置いてある。
 こうやってみると、その他にもそこらで拾った流木とか、石とか、沖縄の珊瑚とか、
 何か分からないけど、草木の枯れたものとか、、家中を侵食して?取り巻いている。
 自分が心地良いようにどんどんしているのだな、きっと。
 元々、植物は好きだったが、こんなに意識し出したのは、ここに越して来てからだろう。
 私は欲張りで、山や海や川と都会も近くにあって欲しいのだった、、溶け込むような感じで。

 窓際の植木に眺めると、自分の心の中にある小さいころから通った丘や実家の庭に繋がってくる。
 それは、哀しい感情とかではなく、今も帰れば、そこにそれはあるという安心感
 (もし変わっていってしまっても自分の心の中には確実に存在しているという)がある。
 そういった環境や思い出を小さい頃持たせてくれたことに対して、両親にとても感謝している。

 中村綾緒

■ 2003.01.22

 4回目の個展まで、あと、11日位にせまってきました。
 前回は約1年くらいを経ての個展でしたが、
 今回は約5ヶ月で次をやることにしました。
 夏につかんだこと早いうちに次に出したかったのと、
 ぽつぽつでも撮っているうちに出したいようなもの、前には出てこなかったものが
 少しずつたまってきたからです。
 
 最近、生活環境を変えました。
 もっとゆっくり生活と制作をしたいと思っています。
 
 ここ2年は私の生きてきた(といっても26年間ですが、、)中で
 一番忙しい2年間で、とにかく自分が常に「いそがしい」と思ってしまって全くゆとりがない自分、
 たまに友人に会うのもおっくう、とにかく休みたい、寝たいというかんじでした。

 そんな中で、感じたのは、カラダが疲れてると気持ちがあっても追い付かないな、とか、
 わたしは寝不足とかだと、すぐゆとりがなくなっちゃうな、とか、
 からだときもちはホント、リンクしているなあ、ということです。
 あたりまえのことかもしれませんが、調子を崩したりしたことで、ものすごく実感した、というか。  
 これからは、もっと自分はこれはしたい、とか、これはしたくないんだ、とか
 増々考えてゆく(「感じるようにする」というか、「感じてしまう」の方が近い感じがします)こととなりそうです。
 そういった中、制作を続けていくことで自然に又、作品が変わっていくのでしょう。

 そして、前からうすうす感じていた私の「制作するということ」は、
 独りで水の奥深く息を止めて潜ってゆく感じ(私自身は殆ど泳げないのですが……)、または、
 独りで夜中、素手(たまに、シャベルやブルトーザー?のようなものにもなる)で土を掘っている感じ、
 これが、今の私の感じです。

■ 2002.08.20

 展覧会が終わりました。
 約1年掛けて準備して来ましたが、始まるとあっと言う間に
 10日間は過ぎていきました。
 個展は自分が頭で思っていたものが立体化されます。
 その存在感はすごいです。
 自分で理解出来ない事が起こり得ます。
 会いたかった人や見て貰いたい人に会えたり。
 未だ会った事は無いけど、いつかは会いたい人と
 今回初めて会った人と繋がっていたり。
 続けていれば、自分の本当に出したい事を出していれば、
 いつかは会えるんじゃないかと思っています。
 色々ばたばたしたりしやすい性分ですが、
 次の個展で向けて叉とぼとぼ進んでいくと思います。

■ 2002.08.11

 展覧会が始まりました。
 なぜこれをおもしろいと感じるのか?自分が何に反応しているのか?
 その時の、今の自分が感じているもの、撮り続けて来た事で又見えて来たもの、
 今私が見たいもの、時間の経過に耐えうるもの、ぞくぞくするような、
 鳥肌が立つようなものを見たい、どこか遠くに行けるような感じ、
 そんなことを想いながら続けてきた中での2001年夏から2002年夏迄の作品を展示しています。
 ぜひ見に来てください(8月20日まで/photographers' gallery)。


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